6月24日(土)自分思考のすすめを読んで

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『命軸で考える』

 


→🟡そのようになって死にますか?

死なないてますよね?

 


94 上司が自殺その妻も自殺。羨ましく思う著者!→どこにでも不幸はある

 


✒︎98 嫌なことでも良かったことでもなんでも書くようになっていました。

💡そうやっているとひらめいてしまうのです。

→🟢何でもこのメモに書いてみる。noteか2個目のはてなブログに貼ってみる。

 


🟡101〜102最終的な目標は臨床心理士だったので、働きながら(自衛隊をしながら)放送大学でも学び始めました。→徳島文理大学の大学院

 


🔵103「自分を育てる」ということができていませんでした。

🔵104.105 結婚詐欺師に殺されかけて、リアルな死の恐怖を味わう

 


📗106心理学も哲学も神学も、人間が死を乗り越えるためにできた学問(!)

 


🔵108自宅のトイレで「死にたい」と思うようになる。

→🟢109もう背伸びをするのはやめよう。そこからは死にたいと思ったことがない。

 →🟢🟡理想と現実を出来るだけ擦り合わせて、理想と現実をイコールにする。人生は何歳になってもこの作業の繰り返し。

→🟢『人生とは常に「理想を修正し続ける」作業の繰り返しである』

 →🔴「自分の思い通りにしたい!」を

🟡状況に応じて『再度設定し直し』、

🟢如何に『修正』し続けれるかどうか。

→『再設定』と『修正』

 →🔵これの逆が『固執』と『教条的現実のねじ曲げ』

 


110

カウンセラーになりたい

カウンセラー=人を救うひと になりたい。

 


110バックキャスティング

🟡未来に実現させたい目標を決め、🟢今やるべきことを考える発送法

 


111「今は精神科の閉鎖病棟にいるけど、将来はカウンセラーになりたい」

 


113

115「相手にどう思われか気になる」というひとが一番覚えておかなくてはならないのは、🟢人の評価はまったくあてにならないと言うことです。

→🟢ひとの評価はコロコロ変わるので、他人軸てそこに合わせていても意味がない。

🟡自分軸で「その人が今の自分に必要か•必要でないか」で判断する。

→🔴受け身ではなく、自分が積極的に判断して自分から選択する

 


116 『選択権』は常に自分の手の中にある

→🔴受動的になるのではなく、能動的に自分から動くことによって「状況を支配できる」ようになる。自分から動かないと、自分から動く他人に状況を支配されて生きづらくなるだけ。

 


💡自分で状況を常に選択していけるようにならないと、いつまでも生きづらい。

→🔵生きづらさのほとんどの原因が受け身の姿勢、他人の後手後手なることなんじゃないか?

 →(病院だって他にも色々あると自分が選択できるという立場に立つことが視野を広くし心に余裕を作る。今はその逆で勝手に視野が狭くなって勝手に追い詰められている

→🔵勝手に自分を崖ぎわに追い込むのがおれの⚠️悪癖である)

→🔵『深刻』に考え過ぎてしまうという悪癖

 


133コラージュ療法

→広告を切り取って、自分の好きなように広告を並べるて貼る 

 

6月24日(土)

良かったこと3つ

①◯時さんの放送を聞いていて、アホな質問に対して◯時さんが凄い普通に答えてて笑った。(どうもキムタクのチンチンです→あーどうもみたいなやり取り)

②猫が膝の上に乗って来て、その上で寝ようとしてるのが愛くるしかった

③昨日彼女と会って、矯◯のことを喋ったら、色々とおれの立場になって言うてくれたので、気がかなり軽くなった!ありがとう!でもやっぱ不安で怖い。

守りから攻めの自己啓発と日記。動いて状況を変えることでしか精神は安定させられない。

もうコロナに振り回されてる場合じゃないんじゃないか?

 


今回の人と会うのを断ったのはまぁグレーな濃厚接触者になってるからわかるが、

 


もうおれの人生よりも、

(コロナ関連で)彼女、親父オカンの人生を優先させるのはやめようと思う。

 


そもそもおれが普通に働いてた親父オカンのコロナリスクなんてもっと普通にあることだから。

 


彼女、親父オカンのコロナ対策によって、

 


『この引きこもってる生活を維持しなくてはないらない』

 


という異常な目標維持がかかげられてしまっている。

 


もう2年半おれは十分我慢したし、おれの人生よりも他人の人生を優先させて、おれの人生を犠牲にしてきた。

 


でももうそういう生活も終わりだ。

 


おれが引きこもりを維持することで、この2年半ほぼコロナリスクをゼロにできたことで、

親父オカンは孫にこのコロナ禍でもなにごともなく会えた。

だからもうおれのコロナ禍生活の役目はもう終えた。

 


これからは、

外に出て、色んなことをやって、色んな人に会おう。

 


彼女にも、「親父オカンでコロナをうつしていいのか」という大義名分のもと、

かなり『🔵支配•服従』を許してしまった。

 


親父オカンの死という『🔴良心につけ込むこと』が支配→服従の構図になったキッカケだ

 


『🔴良心の呵責』に訴えかければ人は簡単に支配できる

 


世間の道徳もそんな使われ方をしているのだろう。おれみたいな他人に支配されやすい人間は逆にいえば、「他人を支配する方法」の教科書を自分の中に持っているようなもの。

これは逆手に取ればめちゃくちゃ使えるリソースだと思う。リソースって内的資源でええがな。

 


あと今回学んだ事は、

 


人間関係において、「🔵守りに入る」ことはめちゃくちゃ不利な状況→支配的状況に置かれるということ

 


悩みまくって一定以上いった時に振り切れたり、諦めみたいな境地になってくると逆に「攻めに入れる」ということを学んだ。

 


🟢人生の課題

『振り切る』方法を学ぶ

 

 

 

振り切る→攻め

 


『振り切る•諦める』ことで逆に守りから攻めの状況に変えることができる。

 


🟡攻めの姿勢とはつまるところ、能動的とか自主的に動くことだと思う。

 


攻めとは自分で動いて状況を変えれる状態ということだ。

 


逆に守りの姿勢は、受動的で全部人に対して受け身→後手後手の姿勢だ。

 


🟡自分で状況を作れるようになる=攻め

 

 

 

🕊良心の呵責と罪悪感

 


これらは人を無限に受け身にする。

 

 

 

守る、攻める、引くも多分あって、

 


🟡引くというこの中間的姿勢が身を助ける最良な方法のような気がする。

 


引く姿勢かー。

 


まぁ何にしても、

 


🟢どんな状況の中からも、

自分で動けることを見つけて動いて行くことが、

 


精神を安定させるコツとなる。

 


🔵受け身な姿勢は精神を不安定にさせやすい。

 


だから結局は、『動いて状況を動かした方がいい』ということとなる。

 


『常に自分から動いて、自分から状況を動かす』

 


🟡守りから攻めに転じる

 


ことで物事は上手く回っていくという気付きを得れた。

 


『状況を自分から動かす人間がその場の状況を『支配する』

 


💡あとは、

「振り切るための具体的な方法とはどんな方法?」とか、

「諦めの境地に入るには具体的にはどんな方法?」

というように大喜利的に答えを出して「守りから攻めの姿勢に変えれる具体的な方法のアイデア」を出して行くだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

神経症者の自己嫌悪と罪悪感について

🔴悪者になるのを恐れてはならない。

悪者になるのをひとたび恐れた瞬間から、

自動的に相手の下に自分から行ってしまっているから。

 


🟡主導権をとって自由に生きるには、

悪者になることを恐れず、

嫌われることも恐れない、ときに自分は悪者になっていいし、少しぐらいなら嫌われてもいいという『遊びという余裕を持つこと』

 


🔵「絶対に」嫌われてはいけない!」とか「絶対に」自分が悪者になってはいけない!」と完璧主義的に考えてしまうのは物凄く脆い生き方だ。

 


🟡ときに悪者になることも嫌われるということも受け入れることでもっと楽に生きていける。

🟡🔴実は一番現実をラクに生きるやり方とは、

 


ありのままのことをそのまま受け入れれることである。

 

 

神経症だって実は「本当は◯◯思ってるのにその◯◯を受け入れたくない」という心理的過程を経て、その結果=葛藤として症状という形があらわれると言われている。

 


神経症とは『過度な抑圧』であり、神経症の症状とは抑圧されたものが歪んだ形として表にあらわれたものである。

 


『本来の感情が、『抑圧という万力で潰された形の感情の形』である。

 


抑圧という万力で潰された歪な感情の形が症状であり、要するに自分の中のありのままの気持ち•感情をそのまま受け入れられないという病気である。

 


自分の理想とは違う感情があると教条的になって『自分の思い通りにしようと』『強引に』『捻じ曲げ』とする。

🟢『抑圧と強引な捻じ曲げ』が行われて症状という万力で強引に捻じ曲げられた歪な感情が生み出される。

 


これを解消したくば、

本来のありのままの気持ち•願望•欲望•汚い?感情=受け入れたくない=自分の理想では無い感情をありのまま「受け入れる」しかない。

 


普通の人は、そう言ったやましいことは他人にいう時は嘘を付いて隠しいるが、

『その感情があることそのものは認めている=そのやましい感情を受け入れれている』が、

 


神経症者は『その感情が自分の中にあることすら許さない。その感情そのものを『握り潰そうとする』

 


神経症者は、この『◯◯でなければならない!!(=理想)』という教条的で『圧倒的な腕力』の強さが病的に強いのである。

 


いわゆる『自分の理想で現実を歪めようとする腕力』が異様に強いのである。


この異常な心の腕力の強さが、

心に異常なまでの葛藤を生み、

その『理想のもとで行われる抑圧』が歪な感情=症状を生むのである。

 


🟢結局は『受け入れたくない!』ということが全てのもとになっているのである。

 


『こんな汚い感情、こんな醜い気持ちを抱くのは自分ではない=『理想の自分』じゃない!』

 


という心理が働いているのである。