守りから攻めの自己啓発と日記。動いて状況を変えることでしか精神は安定させられない。

もうコロナに振り回されてる場合じゃないんじゃないか?

 


今回の人と会うのを断ったのはまぁグレーな濃厚接触者になってるからわかるが、

 


もうおれの人生よりも、

(コロナ関連で)彼女、親父オカンの人生を優先させるのはやめようと思う。

 


そもそもおれが普通に働いてた親父オカンのコロナリスクなんてもっと普通にあることだから。

 


彼女、親父オカンのコロナ対策によって、

 


『この引きこもってる生活を維持しなくてはないらない』

 


という異常な目標維持がかかげられてしまっている。

 


もう2年半おれは十分我慢したし、おれの人生よりも他人の人生を優先させて、おれの人生を犠牲にしてきた。

 


でももうそういう生活も終わりだ。

 


おれが引きこもりを維持することで、この2年半ほぼコロナリスクをゼロにできたことで、

親父オカンは孫にこのコロナ禍でもなにごともなく会えた。

だからもうおれのコロナ禍生活の役目はもう終えた。

 


これからは、

外に出て、色んなことをやって、色んな人に会おう。

 


彼女にも、「親父オカンでコロナをうつしていいのか」という大義名分のもと、

かなり『🔵支配•服従』を許してしまった。

 


親父オカンの死という『🔴良心につけ込むこと』が支配→服従の構図になったキッカケだ

 


『🔴良心の呵責』に訴えかければ人は簡単に支配できる

 


世間の道徳もそんな使われ方をしているのだろう。おれみたいな他人に支配されやすい人間は逆にいえば、「他人を支配する方法」の教科書を自分の中に持っているようなもの。

これは逆手に取ればめちゃくちゃ使えるリソースだと思う。リソースって内的資源でええがな。

 


あと今回学んだ事は、

 


人間関係において、「🔵守りに入る」ことはめちゃくちゃ不利な状況→支配的状況に置かれるということ

 


悩みまくって一定以上いった時に振り切れたり、諦めみたいな境地になってくると逆に「攻めに入れる」ということを学んだ。

 


🟢人生の課題

『振り切る』方法を学ぶ

 

 

 

振り切る→攻め

 


『振り切る•諦める』ことで逆に守りから攻めの状況に変えることができる。

 


🟡攻めの姿勢とはつまるところ、能動的とか自主的に動くことだと思う。

 


攻めとは自分で動いて状況を変えれる状態ということだ。

 


逆に守りの姿勢は、受動的で全部人に対して受け身→後手後手の姿勢だ。

 


🟡自分で状況を作れるようになる=攻め

 

 

 

🕊良心の呵責と罪悪感

 


これらは人を無限に受け身にする。

 

 

 

守る、攻める、引くも多分あって、

 


🟡引くというこの中間的姿勢が身を助ける最良な方法のような気がする。

 


引く姿勢かー。

 


まぁ何にしても、

 


🟢どんな状況の中からも、

自分で動けることを見つけて動いて行くことが、

 


精神を安定させるコツとなる。

 


🔵受け身な姿勢は精神を不安定にさせやすい。

 


だから結局は、『動いて状況を動かした方がいい』ということとなる。

 


『常に自分から動いて、自分から状況を動かす』

 


🟡守りから攻めに転じる

 


ことで物事は上手く回っていくという気付きを得れた。

 


『状況を自分から動かす人間がその場の状況を『支配する』

 


💡あとは、

「振り切るための具体的な方法とはどんな方法?」とか、

「諦めの境地に入るには具体的にはどんな方法?」

というように大喜利的に答えを出して「守りから攻めの姿勢に変えれる具体的な方法のアイデア」を出して行くだけだ。